不景気って言われてますね。
中国の友人からのメールでも、最近は「日本の経済はどうですか?」というメールがよく来ます。
実際のところ、経済状況を見て、不景気なんだと思います。周囲でも、倒産する会社もあれば、経常利益の縮小から整理解雇にあう人もいれば、今のうちに撤退しようという人もいます。
でも、この不景気は世界的なものであって、だからといって直結して、全ての人が「生きていけない」というものでもなくて、個人的には具体的な不景気を感じる事態は起きていません。
周りを見回すと、為替安に反応して即韓国入りした人もいますし、ビジネスチャンスとばかりに欧米のレンタルサーバーやSSLサーバーの契約に向かった人もいますし、新たな職場に就職が決まったばかりの人もいますし、仕事が増えた人もいます。
経済としての数値は、確かに低いです。
実体経済から乖離した為替がGDPの低下に拍車をかけています。日本はGNP中に製造業の占める割合が大きい国なので、輸出に依存している製造業は、はっきりと打撃を受けます。
この場合、行政・日銀・産業が協力して「内需振興策」を行うことになりますし、当たり前ですが、世界中のどの国も対応しているように、日本もあらゆる対応について「遅い」ということはありません。まあ、手を打ったから、安心」なんてレベルの不況じゃないんだな、という程度のGNIの反映しか一般の目に映らない経済も、どこの国でも同じでしょう。
対策を行っていないわけじゃないですが、「効果も安心も見えない」という懸念が広がっているのは、事実に思います。世界中が同時に不景気を味わうという時代に、多くの人々は慣れていないのです。
私は、これは「氷河期のようなもの」と思っています。
氷河期の途中に倒れる人もいるだろうし、消えていく産業もあるかもしれない。でも、生き残る人間たちは、新たな知恵を手に入れて、進化する時なんじゃないのかな、と。
チャールズ・ロバート・ダーウィンは、「すべての生物は変異を持ち、変異のうちの一部は親から子へ伝えられ、その変異の中には生存と繁殖に有利さをもたらす物がある。そして限られた資源を生物個体同士が争い、存在し続けるための努力を繰り返すことによって起こる自然選択によって引き起こされる。」と、進化の法則を説いています。
人は誰もが感じたり、苦悩したり、「ワケあり」なのです。
何も同じに生まれて暮らしたりしません。違う場所で生まれ、違う環境で育ち、違う顔で生きて、違う年に大事な人に出逢い、違う死に方をします。違う人生を生きるから自由があって、同じ人になる為に平等という言葉があるわけじゃありません。時間だけが、人々に同価値の可能性を与えてくれているのです。
そして、今は「真面目に頑張ってきた」人も「悪いことをしてない」人も「何も考えずに生きてきた」人も、大人も子供も高齢者も、みんなが「寒い」時なのです。
人々が共通して維持しようと思うものは、感情ではありません。
肌の色や国籍や血ではなく、通貨調整や取引のルールです。これは政府が調整を行いますが、共通認識として洗脳するのは、親の躾であり、マスメディアのプロパガンダであり、社会の正義です。教育の本質は、生まれた時代と土地柄の、正義を反映しているに過ぎません。
例えば、私は子供の頃、日本とアメリカを行き来して、貨幣に実感が薄いまま育ちました。これは、「共通認識の欠如」です。「おもちゃにしか思えない」感性は、社会性としては、オチコボレもいいところです。
それでも、経済を認識する出来事がありました。
紙幣を焼いて、暖をとる女性の写真を見たときです。
第一次世界大戦後のドイツで、連合国側に支払う戦争賠償金額があまりに高すぎたために、インフレーション(需要と供給のバランスが崩れて、総需要が総供給を上回った場合に、これが物価の上昇によって調整されること)を引き起こし、通貨の安定をなくしたときに、人々は紙幣で薪を買うよりも、紙幣という紙切れを焼いた方が、早く暖かくなる、という絵です。
私はもともと「紙」にしか感じ取れていない洗脳こぼれの人間ですが、この「紙切れ」に「これだけの価値がある」と人々が同価値のルールを信じられるから、交換も交流もスムーズになるというシステムの大きさを実感しました。
「お金」という価値観は、政府や雇用や生活や国境を安定させる、強いメカニズムの上に存在しています。
そして、「お金」という価値観が国家を形成すると言われた時代の後にも、リデノミネーション(通貨単位変更)という大技は、変更に伴う膨大な費用や社会的な混乱をもたらす荒唐無稽な恐ろしい考え、と多くの人々が恐れている中、ベルリンの壁崩壊後の「寒い」ときに、「ユーロ」という通貨は、新しいコネクションと可能性を持って登場しました。
為替変動に立ち向かう同士が、国家という概念を越えた瞬間です。このメカニズムは、「開放された市場」という以上に、正義の視点を変え、連携の仕様を変え、人々の生活も心も変えたのです。
お蔭様で、私も金利やら為替やら、やたら強い人に変わりました(大笑)
時代の正義は、テクノロジーで変容します。
「革命」というものは、あるものの出現によって、もう「それがない時代の価値観」に戻ることが起こり得ない時代の「変わり目」を意味します。
狩猟を軸に暮らしていた時代の人々は、狩をする対象の基に集いました。
農業革命時にでは、安定した食生活を手に入れる代わりに、移動する自由を失いました。土地にとどまり、農作に参加しない人には、収穫の分け前は与えられませんでしたし、農地を離れてまで、不安定な狩の日々に戻りもしなかったでしょう。
産業革命では、誰もが資源に向かい、その資源に近い者、早く辿り着いた者が、より多くの富を得ました。ゴールドラッシュも自然破壊もオイルショックも、ありとあらゆる恩恵と損失を伴う大変革です。それでも、車は人々の生活を豊かにし、汽車は仕事と生活圏や、資本と流通の安定を図り、飛行機は人と物の移動を重ね、世界を近づけました。
情報革命の時代には、電話やFAXやインターネットが現れます。
人々は量とスピードという付加価値を選択しながら、情報という資源に集います。情報に対して、投資を行い、情報という回収を得て、つながっているのです。
「物余り・金余り」「金余り・物不足」「物余り・金不足」「金不足・物不足」このバランスは、意識しなくても生きられる時代、意識しないと危ない時代、意識して向かっていしかない時代と、人々のあるべき姿勢の変容を意味します。
でもね、それって、単なる「筋道」の話なんですよ。筋道って王道は、変わらないのです。国が変わっても、人が変わっても、時代が変わっても、ね。
感情は継承されなくても、人々の望む本質から大きく外れる「正義」や「理想」や「希望」に基づかない世界は、突如として現れたりなんてしないんです。
例えば、日本の発展途上時代には、交通事故の被害者があまりに多かったにも関わらず、車が人を殺せる力を備えているということを考えるよりも、利便性と経済の発展のほうが優先される「正義」がありました。でも、その時代は既に終わっています。多くの日本人が「人の命のほうが尊い」という信念が、制度や罰則を変えたのです。
例えば、路上駐車を促すような行列の出来る飲食店が、無謀に営業時間を広げ、救急車や消防車が走れないような無駄な駐車を野放しに助長する時代も終わりました。その規制によって、商売はうまくいかなくなったとしても、時代の答は「今までが放置されていただけ」という「正義」のもと、損する人が出てきても、理想に基づく、あるべき公道の姿を取り戻したい人のほうが増えた訳です。
人々の選択は、間違った一方に向かうのではなく、時代ごとに答が変容するに過ぎないと、私は思うのです。そして社会の求める答が文明を進化させ、人を強くするように思っています。
「前のほうが良かった」という一部の人々は、失われた文明に生きた人々と同じように、戻らない時代を思うまま過ごすことになるかもしれません。
それでも、「大丈夫」な人類の実感はあります。
例えば、人々が害虫に悩まされて、農薬量の多い野菜で、身体被害にあう時代もありました。情報を得た人間は、どんなに製薬会社が「安全な農薬」と言っても、もう信じません。当たり前のこととして、「無農薬の野菜」を求める気持ちになります。農薬で栽培された野菜と無農薬の野菜が、全く同じ価格であるとしたら、間違いなく「無農薬の野菜」を選び取ることでしょうが、その値段に2倍や3倍や5倍や10倍の差があるとすれば、人は「飢える」か「農薬栽培の野菜」の選択肢を選び取ることになります。
そして、今までの正義では、このマルチタスクは「難易度が高い」という理由で、行動に結びつかない現状をただ続けすぎました。変革には、反省というチャンスも含まれています。
それらを考えることを「当たり前」として選び取る世代、その社会を望むか望まないかという信念に基づいて、方法を変えている世代は、もう姿を見せています。
「無農薬か有農薬か」でなく「飢えるか有農薬か」という選択肢は、今までになかった訳じゃありません。考えなかっただけなのです。
例えば、資本主義と社会を思うときに、その構成がピラミッド形だという輪郭を理解して、参加する若い世代には、層構造の目標として自分の位置を意識する顔も浮かびます。市場が活性化され、世界規模の交流がなされて、資本主義を見直す時代感を、若い世代から感じることがとても多いです。
資本主義に参加するときに、自分が主役のスタートはなく、投資分を回収する株主との契約に沿って、仕事というチャンスを得ることの、価値を知って飛び込む顔です。
人格を形成するのは、愛情と仕事だけ。そこそこ働いて、ほどほどに遊んで、滅ばなかった文明なんてないんです。仕事は求められることと、与えられることを、通貨が補完する、いい時間の使い方に思えます。
求められる条件がクリアになることを、私は悪い事じゃないと思ってますから、クリアにならないときよりも、繁栄も達成感も「共有できる人に出会える確率を減らす時代が終わろうとしている」という立ち位置への期待は、それだけで正直嬉しいです。
人の自由が、幸福を追求する権利に基づいているのが、主義です。資本主義も共産主義も、望まれて表れました。
中国もロシアも社会主義を貫いていたりなんてしません。資本主義を導入する優秀さが、存続の理由であり、アメリカのディーゼル車の排ガス基準値を半分に抑える技術を生み出したのも、日本の加工貿易国の位置を揺るがす生産性を挙げたのも、資本と還流を、シンプルなハードルに仮定できたからです。
自分が頑張って褒められるだけじゃない、自分が自分の居場所を広くすると、会社の名前はいきなり世界に広がるという「個人的な変革」を、「筋道」として受け入れている多くの中国の友人に、いつも頭が下がります。競争力が落ちてる日本を知る瞬間でもありますけど。人が目標に向かうときの行動に変わりないなあと思うところです。
その積み重ねは、自己実現として価値を感じない職場に縛られることもないし、その場所を維持する為の責任を果たして得る、報酬や能力はもっと分かりやすい環境を作るようにも感じます。
そこに居たいと思える人だけが、適応を望むのかもしれませんね。
そして、それこそが、時代の適応性を論じた「ダーウィンの進化論」を体感するときでもあると、強く思うのです。
私は「空気読まない」人間なので、不景気な空気も、実は感じきれていないのかもしれません。
大雑把な人間なので「はげしくマクロ!」と言われたりもします。
でも、「無駄に暗くなることもないかな?」と思う程度には、忙しい毎日を送っています。
「忙しくしたい。踏ん張りどころだから!」という人々にも囲まれてるし、世界的なハードルを意識して、責任と信念とともに、自分のビジョンに向かって、自分の希望と求められる条件をクリアする顔が増えるときかもしれない。全ての人が移動できるかは分からないけど。
理論としての不景気は理解してます。実感は、全然してないです。
振り返ったって、サブプライム・インパクトも、想定内。多分2009年の10月あたりは、アメリカ発の経済下降はあるでしょう。でも、上海マーケットの機能停止みたいな驚きは、全然ないです。いきなり何も変わらないです。
イマジンだけの時代が終わりかけてるだけ。
さあ、「大丈夫」なビジョンを本気で探して、個人のアクションに飛び込んで!
The Exodus.
Let's survive at an economic glacial epoch with hope !!

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