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生物と無生物の「あいだ」と「間」のあいだ

このエントリーでも書きましたが、図書館から予約していた「生物の無生物の間」が届きました、とのメール。ちょうど、自転車でお出かけする用事があったので、喜び勇んで受け取りに行ってきました。で、家に帰って取り出してみると…。

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あれ? 川喜多愛郎って…誰? …というか、「生物と無生物の」…。「生物と無生物のあいだ」じゃなくて…。って、違うやん、これ!

よく考えてみると、HIROCが図書検索したときに変換ミスした模様。世田谷区立図書館のシステムは悪くないです。むしろ、HIROCのリクエストに寸分違わず応えてくれています。「生物と無生物のあいだ」で検索しないといけないところを、「生物と無生物の間」で検索したおかげで、この1959年初版の新書が、保存庫からわざわざ取り寄せられたのでありました。

最近、「アンビエント・ファインダビリティ」という、人間を正しい検索結果に導く方法を考える本を読んだばかりなのですが、まだこの世界は、人間のいい加減な記憶から正しい検索結果を導き出す「ファインダビリティ」を獲得できていません。「あいだ」と「間」を間違えれば、まったく別の結果を得てしまうのです。モービル先生、この世界はまだまだ不完全で不合理で「アンファインダビリティ」です…

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が、ちょっと待った。何が「正しい」結果なのか? 手違いが原因で届いてしまったこの本が「正しくない」という根拠はなんだ? 「生物」と「無生物」を分け隔てるモノは一体何か、が知りたかったはず。今、HIROCが欲している知識が、「生物と無生物の間」という本に、ドンピシャに書かれているかもしれないじゃないか。HIROCの不合理と間違いが生んだこの本との出会いが、無意味であるかどうかは、読んで見なければ分からないじゃないか。

と、思い直して、ちょっとだけ読んでみると…。予感したとおり、面白いんだな、これが

まず、コッホやパストゥールが、病気の根源として研究した細菌学について、再認識することになりました。現代人は意外と細菌について知らない。もしくは細菌とウイルスの区別がついていない。少なくともHIROCにとっては、毎ページが目くるめく新知識の数々。HIROCは、当時の細菌学者たちが、濾過装置を使ってせっせと細菌を探していたなんとことは初めて知りました。そして、フィルターに引っかかった細菌を丹念に選別して、今度はターゲットの細菌だけをうまく培養して、さらにはちまちまと活動する細菌の挙動を顕微鏡で観察する、という気の遠くなるような研究が、そこにはありました。

また、いくら小さな細菌を研究し尽くしても、原因が究明できない伝染病があることを、細菌学者たちは知っていました。まったく目に見えず、どんなに目の細かい濾過装置も通り抜けてしまう「何か」。これを細菌学者たちは、濾過装置を通り抜けてしまう毒素、「filtrable virus(濾過性病原体)」と呼んで研究を続けました。研究といっても、顕微鏡でも見えないわけですし(当時、電子顕微鏡は存在しなかった)、濾過装置を使ってターゲットの毒素だけを選別することも、ましてや、それらを培養することもできなかった。

それでも、細菌の仕業とは思えない病気、例えば「黄熱病」や「肝炎」などの「振る舞い」を観察し、「filtrable virus」(略して「ウイルス」)は、たんぱく質と核酸からなる化合物にすぎない、という結論に達し、「ウイルス」なる存在が、私たちがこれまで「生物」と呼んでいたカテゴリーの外にある、という核心へと進んでいきます。細胞を最小構成単位とせず、ゆえに自らの力で増殖することもできず、他の生物の細胞を利用して自らのコピーを作り出す、という、文字通り「生物と無生物の間」に存在する「何か」。それがウイルスなのである、と。

なぜウイルスにはそんな芸当が可能なのかは、DNAの研究が深まり、変異の仕組みが解き明かされ、電子顕微鏡が実用化されるまで、よく分からない時代が続きました。それでも、人間のイマジネーションと未知の分野への探究心が、ウイルスという人類の脅威への、命懸けの研究に駆り立てた、というその事実自体に興奮します。実際、野口英世をはじめとした多くの研究者が、研究対象のウイルスに自ら罹患してこの世を去っています。細菌学→ウイルス学への移行期は、死と隣り合わせの栄誉を夢見る科学者たちの大航海時代だったといってもいいかもしれません。

とまあ、「生物と無生物の間」は、内容もさることながら、文章構成も完璧で、1959年に書かれたとは思えないほど、平易で好奇心を刺激する、素晴らしい本でした。「生物と無生物のあいだ」は、ただタイトルが酷似しているだけでなく、この「生物と無生物の間」を意識して書かれたのだと思います。(まだ「あいだ」の方は読んでないので、なんともいえないのですが)

目に見えないし、手にも取れないけど、そこにあるはずの「何か」。その痕跡を探し当て、輪郭を定義し、内容を見極めるためには、漫然と眺めているだけではダメ。人生丸ごとを掛け金にして、苛烈に努力し、勇気を振り絞り、時には不合理的な勘に頼り、膨大な数の失敗を重ね、それでも諦めることなく突き進む。要求されるのはとてつもなく大きい。そして、「何か」を探し当てたときに得られるものもまた大きい。そんな風に感じた「生物と無生物の間」との出会い、でしたとさ。

さて、図書館への再リクエストがかなえられるのはいつの日か…。

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書 1891)
生物と無生物のあいだ (講談社現代新書 1891)福岡 伸一

おすすめ平均
stars名が体を表していない
stars門外漢をも興奮させる面白さ。
starsWhat a Wonderful World !
stars数日後の私はかなり入れ替わった私
stars読ませる文章なんだけど

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コメント (3)

ミミリン:

僕も 普通にやってしまいそうな間違い 変換って難しいよね

えっとですねー。

何かを取り違えるという、そういう間違いがやたら増えているわが身を鑑みて、老化ってあるよなぁと思います。

ぼくは反対に福岡さんの「〜あいだ」の方しか読んでいないんでなんともいえないんだけど、文章としては「〜あいだ」の方がよさそうですね。

福岡さんの文章は、ちょっとかっこつけているというか、理科と関係ない文学的な修辞が所々にあって、そこが個性というか、読みやすさに繋がっている感じです。

ぼくは、学者さんなんでそこまで著述に凝らんでもといった印象を受けました。

>ミミリンさま
間違えても、意外と楽しかったりします。これが人生の面白いところですね。

>タクヤさま
なぜ人は間違うのか? なぜ目の前にあるのに見えないのか? なぜちゃんと読めば分かるのに読まないのか? 人間の脳みそというのは、本当に面白いですね。
ともあれ、福岡版「生物と無生物のあいだ」早く読みたくなってきました。

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2007年12月07日 11:00に投稿されたエントリーのページです。

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